神の故里〜熊野詣

 過日、盛会の内に幕を閉じた京都オフ。今回、たまたま休日出勤の代休が溜まっていたのを幸いに、熊野界隈も周って来ました。
 彼の地で見聞きしたことやものなど、細か記載は此処がエッセイ部屋ではないので割愛致しますが、そこで詠み散らかした拙作群と、その簡単な解説などを纏めて上げさせて戴きます。宜しく御笑覧下さいませ。

 宵闇に抱かれ進まむ途のうへ 西に西にや夜更けへ夜更けへ /ミチ 遼川るか
 (於:和歌山行き深夜バス車内)


 今回の行程は21:35に池袋駅前を出発する、長距離バスから始まりました。バスの終点は那智勝浦。私はその手前、新宮迄の乗車でした。
 都会を離れ、街灯も疎らな夜の高速。バスはひたすら西を目指します。...日没後、西へ向かえば、それだけ長く夜に、闇に、囚われるということ。

 新宮に着いたのは予定より50分早い7:10。歩いて開店直後のトヨタレンタリースへ。そのまま三重県へ戻ること小1時間。「花の窟神社」に到着しました。

 初め事はなべてし此処ゆ此処に在る国母の墓誌は倭の礎   遼川るか

 綱渡さむ 窟と海を、天と地を、渡しつ結ぶ夫須美が名にて   遼川るか
 (於:花の窟神社)


 「花の窟神社」の祭神は「伊弉冉尊/いざなみのみこと」でここに葬られた、とされています。高天原より国造りの為に降臨した女の神様は、島・神・自然を生み出した全ての母親。またの名を夫須美神というそうですが、ふすみ=結びという意味なのだとか。70mを越える大岩=伊弉冉尊、としてお社もなく、ただその岩に注連縄が掛かっているだけで年に2回、この岩の頂上から国道を挟んだ七里御浜へ、注連縄を渡し直す「お綱掛神事」というものも行われているようです。

 注連縄というと、単に人の領域と神の領域の境界を隔てているもの、としか思っていなかったのですが、きちんとした意味と謂れがあるらしく...。つまり伊弉諾尊・伊弉冉尊が生み出した3人の神(天照、月読、素盞鳴)が三つの旗、7つの自然(風、海、樹、草、水、土、火)が七本の綱に糾われている、ということを無料配布されていた資料で知りました。

 國生みて 神産みいまは
 七綱や 三幟に護らゆる /ミハタ
 高天の 原授けたる
 謡ふこと 謡へば昂る
 倭歌をも

 詠み人の御名は知らねど胸の裡 伝はり伝ふれ歌在ればこそ   遼川るか
 (於:花の窟神社)


 神体である大岩の傍らに、小さなお社がありました。祭神は「軻遇偶突智尊/かぐつちのみこと」。火の神であり彼を産む時、伊弉冉は火傷を負い、結局そのまま身罷ってしまった、という神話を持つ神です。

 あもの傍 祀らゆる火よ
 いまこそに 子守られたけれ
 な責めそね 身罷らせしを
 明ゆるも 温もらゆるも
 あそ生みし あもやあそにて
 授かりて 叶はゆるゆゑ
 七綱の ひとつともなり
 糾はれ 黄泉比良坂
 彼の地へと 繋ぎ/\て
 けふまでも けふゆいづれも
 國初めの 語りのあれば
 此の社 ありをらるゝを
 人の子ら 忘らであらば
 分かたらじ 永久に寄り添ふ
 こと変はらじて

 灯しては繋ぐ命が護りたる焔たゆたふ神の故里   遼川るか
 (於:花の窟神社)


 「花の窟神社」を後にして、そのまま国道を更に戻ると現れるのが、「獅子岩」。侵食によって造りだされた奇岩は、小雨そぼ降る熊野灘を睨み続けます。まるで太古、荒ぶる神たちが残した身代わりのように。

 荒ぶりし神託せしか熊野灘へ臨み吼えゐる獅子に祈りを  遼川るか
 (於:獅子岩)


        

 再び和歌山・新宮市へ戻り、熊野三山のひとつ。「伊弉諾尊/いざなぎのみこと」を主神と祀る熊野速玉神社へ。本降りになってきた雨の中、傘も差さずに境内を進むと、梛の大木が出迎えてくれました。平重盛が手植えして樹齢約1000年にもなるものだそうです。

 海凪ぎて空澄み渡るあしたにそ逢はまほしくに参りしものかは  遼川るか
 (於:熊野速玉神社)


 梛は凪に通じるということで、色々なご利益のあるご神木の下、繁った枝葉が雨を凌いでくれた瞬間、理由もないのに少しだけ泣けました。

   

 本殿でお参りをし、すぐに熊野本宮へ向かいます。
「国道168号をそのまま行けば着くよ」
 というお土産物屋さんの言葉を受けて和歌山県の内陸部へ。

 延々続く蛇行した山道、降りしきる雨。件の国道は熊野川に沿って走っているようで、成る程。元々、熊野本宮は熊野川の中洲にあったのだから、あとは道なり。そう気が付くと少し余裕が出て来て、周囲の景観も横目で眺めつつ...。そう、有名な瀞峡です。

 湛へたるしづの碧さは大地さへなほ穿たゆるこの刹那にも  遼川るか
 (於:国道168号路上・熊野川沿)

   

 やがて現れる高く大きな鳥居。水害で移転した本宮の跡地「大斎原/おおゆのはら」に立つ日本一の大鳥居は立ち込めた山霧を纏い厳粛な雰囲気を漂わせていました。

 聳ゆるは天にそ架かる橋のごと 探す面影、鳥居の向かう  遼川るか
 (於:大斎原)


      
                     

 石段をゆっくりゆっくり登り、初めて見た熊野本宮。素盞鳴尊を主神と祀っていますが、私にはそれよりも此処が熊野三山の主座であり、熊野信仰の総本宮として、様々な歌人が詠んだからこそ、来て見たくて...。お守りなどと一緒に、熊野献詠歌を纏めた歌集「曙」を社務所にて購入しました。僭越ながら私も一首。

 明けやらで暮るゝばかりのひと歳も吉野の山に仄見ゆる曙 /ギヤウ  遼川るか
 (於:熊野本宮)


 ようやく、雨も上がりました。偶然にも詠草した拙歌のように薄日が差し込んできます。残るは那智の大滝と熊野那智大社。新宮を経由して那智勝浦へ向かいます。車窓から見える海には、漁船が幾つも行き交っていました。夜に走れば、漁火も見えるかも知れません。JR那智駅付近で海岸線を離れ、再び山道を30分程。木々の梢から見え隠れしていたのは、切り立った断崖と流れ落ちる滝...。那智大社の主神・「大己貴命/おおなむじのみこと=大国主命」のご神体となっている那智の大滝です。

 煙り降る飛沫に濡るゝ眦をあへて拭はじ、流せまうくに /マナジリ  遼川るか

 囚はれしかつてをかつてに流してはかそけく寂びしや滝波の垢離  遼川るか
 (於:那智の大滝)


             
 

 湿った石段を降り、また登り、滝壷近くまで行くと流石に滝音も一際に。細かな飛沫も一斉に降って来ます。乾き始めていた服が再び軽く湿りました。
 滝の入口まで戻ると、那智のお山登りです。折角だから表参道から、ということで大きく迂回して登り口へ。そして長い、長い、階段を一歩々々。何度も立ち止まり、深呼吸して、やっと辿り着いた熊野那智大社。ふと見ると傾きかけた陽射しに吉野の山々と那智大滝、お隣の那智山青岸渡寺の三重の塔が、まるで一幅の絵のように照らし出されていました。

 光満つ 那智の峰越し空深く行方訊ねむ八咫の烏に  遼川るか
 (於:熊野那智大社)


     

 熊野三山は全て「八咫烏/やたがらす」も祀っていて、これは那智の海岸へ神武上陸の際、天照大神の使いとして畿内、つまりは大和への道案内を務めたからです。この後、那智山青岸渡寺にも参拝し、今度は裏参道から下山。伊弉諾尊・伊弉冉尊・素盞鳴尊・大己貴命、そして神武へと至る古事記を辿った私の熊野詣は終りました。


 行って見たかったし、タイミングが合ったのも事実ですが、それでも自分が何を求めていたのか。今ならばこれが、漠然とですけれど判る気がしています。
 最後に熊野詣について詠まれた数々の先達のお作から、私なりの答えを添えて拙文を終らせて戴きます。

熊野にまうてゝ、三の山の御正体を奉るとて読侍ける

|数々に身にそふかげとててらし見よみがく鏡にうつす心を
                  源 有長「風雅和歌集 巻19 神祇歌 2150」


 ありがとうございました。


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 2002,02,22  三重・和歌山訪問
 2002,03,03  執筆
 2002,03,04  @nifty 文学フォーラム 7番会議室上に掲載

 ※ 当ページに掲載している写真の一部は、訪問当日の天気などの理由から「デジタ
   ル楽しみ村」さま、「Sight-seeing Japan」さまよりお借りしています。


                                遼川るか 拝







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