後記


 「わたしの中の1つの時代が終わった」
 何の脈略もなく思ってしまったことを、ただただ噛み締めた1年半でした。2007年の3月末に隠岐を訪ね、早ければ4月中、遅くても夏には、必ず脱稿させる。そう思っていたはずが、あの隠岐への旅を境目に、何かの歯車が噛み合わなくなりました。
 直接的な理由は仕事です。とにかく、もう身動きできないほど忙殺され、けれどもそれを嫌だとも思っていない自分がいた結果、2007年9月の夏休みでも脱稿できず、ならばと臨んだ年末年始の休暇でもだめ。年が明けるとさらに忙殺の度合いが高まり、GWは休暇なし。そしてようやくやってきた夏休み。...といってもそれすらも9月末なのですが、ようやっと脱稿できた本作「わたのそこおきゆ」です。
 いや、途中でも週末は書いていたんですけれどね。なかなか一気に書くまでの環境が整わなかったといいますか、そういう気になれなかったといいますか。何とも。

 ただ、わたしの中で終わった1つの時代、という感慨は決して間違っていたとは思えず、またそれをわたしの中で確たるものへと昇華させるには、必要な1年半だったようにも思えています。
 「さゝなみのしがゆ」でも随分書きましたが、とにかくあの頃からわたしの中に満ち始めていたのが地に足のついていない憧れ、というものへの嫌悪でそれは自分に当て嵌めるのならば
「わたしは一体、何がやりたいの」
 というシンプルな問いに集約されます。

 過去の古歌紀行文でもこの問いは再三にわたって登場していますけれども、あちこちで拙歌に対して賞をいただいてしまったり、その流れでもう一度、結社というものに身を寄せるようになってからは、より強く思いました。
「わたしは一体、何がやりたいの」
 と。褒められれば嬉しく、ついついそちらへとついて行きたくもなるわけで、けれどもそこについてゆくことが本当にやりたいこととは到底思えず、ならばどうしたいのか、と。もはやこの連続の中、ようやっと突破口が見え始めたのは今年の4月くらいでしたか。...はい、隠岐訪問から丸1年後のことです。

 もう一度、歌の世界との距離を少し狭めた処、決して悪し様にしようというのではなく、でもわたしにとっては困惑してしまうお言葉も複数いただきました。
「上古への思い入れが強すぎるのではないか」
 というフレーズには流石に耳を塞ぎたくなる思いがし、けれどもそれとて良かれと思っていってくださっているものとなれば、どう消化していいのか、と。そんな浮き沈みののちに今現在のわたしが辿り着いた解答が、本作後半部に綴られています。

 冒頭を書いたのは2007年の9月後半。そして半分以上は2008年の6月以降に書いていますから、語り部たるわたしの前半と後半にそれなりのズレも存在しています。ただ、明らかな立ち位置の変移は別として、わたし自身の変化であればそれが前進であろうが、後退であろうが、そのままを晒すべし。そういう思いから、敢えて手を入れていません。
 奇異に感じられる方もきっといらっしゃるでしょうし、作品を生み出すものとしての姿勢を問われるならばそれは、それまででしょう。それでも、わたしはつくりものとしての要素を減らしたいと願ってしまっていますので。

 隠岐という土地は、たまたま短歌の賞をいただき、しかも別の短歌賞の表彰式で出雲まで出向くことから訪ねました。当時も、今もどうしても出雲を旅して周る気にはわたしがなれないことが理由なのですが、もちろんこれは出雲を周れるだけの力量が自分にはない、と判断していればこそ。...葛城王朝説を採っている者には、出雲はきっと最後に訪ねるしかない地なのだと思っています。
 ですが、だからといって隠岐が、当時の力量に適う地だったのか、と問われたならばわたしは改めて即答します。
「否」
 と。

 これはこの1年半で、1番突きつけられた現実なのでしょう。当初は勉強不足にも
「記紀の国生み以外に、上代文学と関わりがあるのかしら」
 などと暢気なことを考えていたんですけれどね。後鳥羽院や後醍醐天皇は基本的に、わたしの個人の興味範疇から外れていましたし、書く題材を探すのに苦労するのではないか、とまで思っていたわたしが愕然としたのはやはり、柿本美豆良麿の伝説に接してからです。そして続いた大伴永主の存在から流刑地としての隠岐が色濃く立ち上がり、さらには流刑、すなわち放逐となれば、上代文学と親しむ者が素戔鳴尊を避けることなど、できるはずもなし。

 加えてこちらもずっと書かずに来ていた古史古伝の類と、どう関わってゆくのか、というわたしなりの立場表明も、隠岐がまさか思っても見なかった、その古史古伝そのものを有する群島であった、という事実に、もう逃げられるはずもなくて。
 そしてもう1つ。「なつそびくうなかみがたゆ」あたりから少しずつ意識し始めている、統治という名の征伐、あるいは支配。この図式に、ほんの100年前まで隠岐が反旗を翻していたことも、いずれゆく常陸やその先の蝦夷の地(東北)へと続く大きな大きなテーマと合流したわけで。

 こうして振り返ってみると、内容以上に書き手にはヘビィな古歌紀行文だったのだ、と思い至らずにはいられません。ですが同時に、だからこそ絶対に避けて通れなかった土地だったのだ、とずっと思っています。感じています。
「道は遠い、勉学せよ」
 中ノ島の隠岐神社にて引いた御神籤の言葉がずっとわたしの中に残っています。わたしの道、わたしが行きたいもの、行きたい場所。それらをもう一度、いいえ、この先、何度でも噛み締めてゆきたいです。

 最後に、隠岐という土地を導く枕詞は、ついぞ見つかりませんでした。ならばと、色々考えはしたのですが沖を導く“わたのそこ”で本作タイトルはゆかせて頂きます。...といって、これは単純に沖と隠岐の響きが同じだったから、という理由からではありません。作中にも書きましたが、上代文学に於いて「海の底」とは1つの死を意味していると思っています。
 役目を終えた素戔鳴尊が隠ったのが海の底ですし、大国主が出雲(出ず喪)で隠れ、伊豆(出ず)で再生するまでの間にいた、とされているのがやはり海の底。そして海の向こう、水平線の彼方にあるとされていたのが常世の国。

 流刑地・隠岐。流刑とは肉体ではなく社会生活を営む人間としての死を与えるものである。わたしは作中でそう定義しました。けれども大国主がそうであるように。また後醍醐天皇が隠岐を脱出したように。小野篁が、大伴永主が、都へ戻れたように。...その死は、再生の意味も併せ持った死なのだ、とも思っています。だからこそ、わたのそこおきゆ。こうしようと決めた次第です。訪問時には全焼して間もなかった隠岐国分寺も再建が始まっているとのことですし。
 国分寺に限らず、様々な難題と答えを授けてくれた隠岐の地へ、心からの感謝と、発展の祈念を込めながら、筆を擱かせていただきたく思います。

 本当に有難うございました。

  


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 本稿を書くにあたり、参考にさせて戴いた文献・Webサイトを以下に記します。

・万葉集関連
 「万葉集検索データベース・ソフト」 (山口大学)
 「萬葉集」(1)〜(4) 高木市之助ほか 校注 (岩波日本古典文学大系)
 「新編国歌大観準拠 万葉集」上・下 伊藤博 校注 (角川文庫)
 「新訓 万葉集」上・下 佐々木信綱 編 (岩波書店)
 「万葉集」上・中・下 桜井満 訳注 (旺文社文庫)
 「万葉集ハンドブック」 多田一臣 編 (三省堂)
 「万葉ことば辞典」 青木生子 橋本達雄 監修 (大和書房)
 「万葉集地名歌総覧」 樋口和也 (近代文芸社)
 「万葉集辞典」 中西進 著 (講談社)
 「初期万葉歌の史的背景」 菅野雅雄 著 (和泉書院)
 「古代和歌と祝祭」 森朝男 著 (有精堂出版)
 「万葉集の民俗学」 桜井満 監修 (桜楓社)
 「万葉集のある暮らし」 澤柳友子 (明石書店)
 「万葉の植物 カラーブックス」 松田修(保育社)
 「万葉集大成」(1)〜(20) (平凡社)

・古事記
 「古事記/上代歌謡」 (小学館日本古典文学全集)
 「新訂 古事記」 武田祐吉 訳注 (角川文庫)

・日本書紀
 「日本書紀」上・下 坂本太郎ほか 校注(岩波日本古典文学大系)
 「日本書紀」上・下 宇治谷孟 校註 (講談社学術文庫)
 「日本書紀」(1)〜(5) 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注(岩波文庫)

・続日本紀
 「続日本紀 蓬左文庫本」(1)〜(5) (八木書店)
 「続日本紀」青木和夫ほか 校注 (岩波新日本古典文学体系)
 「続日本紀」上・中・下 宇治谷孟 校註 (講談社学術文庫)
 「続日本紀」(1)〜(4) 直木孝次郎 他 訳注 平凡社(東洋文庫)

・日本後紀
 「国史大系 日本後紀」 黒板勝美 (吉川弘文館)
 「日本後紀」上・中・下 森田悌 (講談社学術文庫)

・続日本後紀
 「国史大系 続日本後紀」 黒板勝美 (吉川弘文館)

・日本紀略
 「国史大系 日本紀略 前編」 黒板勝美(吉川弘文館)

・出雲国風土記
 「風土記」 秋本吉郎 校注 (岩波日本古典文学大系)
 「風土記を読む」 中村啓信 谷口雅博 飯泉健司 編(おうふう)
 「風土記」 吉野裕 訳(東洋文庫)
 「出雲国風土記」 荻原千鶴(講談社学術文庫)

・石見国風土記逸文
 「風土記」 秋本吉郎 校注 (岩波日本古典文学大系)
 「風土記を読む」 中村啓信 谷口雅博 飯泉健司 編(おうふう)
 「風土記」 吉野裕 訳(東洋文庫)

・常陸国風土記
 「風土記」 秋本吉郎 校注 (岩波日本古典文学大系)
 「風土記を読む」 中村啓信 谷口雅博 飯泉健司 編(おうふう)
 「風土記」 吉野裕 訳(東洋文庫)
 「『常陸国風土記』と説話の研究」 志田諄一(雄山閣出版)
 「常陸国風土記にみる古代」 井上辰雄(学生社)
 「常陸国風土記」 秋本吉徳(講談社学術文庫)

・播磨国風土記
 「風土記」 秋本吉郎 校注 (岩波日本古典文学大系)
 「風土記を読む」 中村啓信 谷口雅博 飯泉健司 編(おうふう)
 「風土記」 吉野裕 訳(東洋文庫)
 「播磨国風土記」 沖森卓也 佐藤信 矢島泉(山川出版社)

・先代旧事本紀
 「先代旧事本紀 訓註」 大野七三 編著(批評社)
 「先代旧事本紀の研究 校本の部」 鎌田 純一(吉川弘文館)

・古語拾遺
 「古語拾遺」 西宮一民 校注(岩波文庫)
 「『古語拾遺』を読む」 青木紀元 監修(右分書院)

・延喜式
 「延喜式」 国史大系編修会(吉川弘文館/国史大系19〜21)
 「日本古典全集 延喜式」(1)〜(4) 與謝野寛・正宗敦夫・與謝野晶子 編纂(現代思想社)
 「延喜式」 虎尾俊哉 著 (吉川弘文館)
 「延喜式祝詞教本」 (神社新報社)

・古代歌謡
 「記紀歌謡集」 武田祐吉 校註 (岩波文庫)
 「古代歌謡」 土橋寛・小西甚一 校注(岩波日本文学大系)
 「上代歌謡」 高木市之助 校註 (朝日新聞日本古典選)
 「日本の歌謡」 真鍋昌弘・宮岡薫・永池健二・小野恭靖 編(双文社出版)

・上代文学全般
 「上代文学研究事典」 小野寛 櫻井満(おうふう)

・上代語
 「古代の声 うた・踊り・ことば・神話」 西郷信綱(朝日選書)

・和歌全般
 「新編国歌大観 CD-ROM」 監修 新編国歌大観編集委員会(角川学芸出版)
 「時代統合情報システム」 ttp://tois.nichibun.ac.jp/

・古代和歌
 「古代和歌史研究」 伊藤博(塙書房)
 「古代和歌の発生-歌の呪性と様式-」 古橋信孝(東京大学出版会)
 「歌経標式-注釈と研究-」 沖森卓也 佐藤信 平沢竜介 矢島泉(桜楓社)

・21代集
 「二十一代集〔正保版本〕CD-ROM」 (岩波書店 国文学研究資料館データベース)

・古今和歌集
 「古今和歌集」 小沢正夫 校注・訳 (小学館日本古典文学全集)
 「古今和歌集」 小島憲之ほか 校注 (岩波新日本古典文学大系)

・小倉百人一首
 「百人一首古注抄」 島津忠夫・上條彰次 編 (和泉書院)
 「百人一首注釈書叢刊」(1)〜(20) 荒木尚ほか 編 (和泉書院)

・続後撰和歌集
 「続後撰和歌集」 國枝利久、他 編(和泉書院)

・草根集
 「草根集」 ノートルダム清心女子大学古典叢書刊行会
              (ノートルダム清心女子大学古典叢書刊行会)

・夫木和歌抄
 「夫木和歌抄」 宮内庁書陵部(図書寮叢刊)

・養老令など律令関連
 「国史大系 律・令義解」 黒板勝美 (吉川弘文館)
 「国史大系 令集解」 前編・後編 黒板勝美 (吉川弘文館)
 「註解養老令」 会田範治 著(有信堂)
 「律令制と古代社会」 竹内理三先生喜寿記念論文集刊行会(東京堂出版)

・増鏡
 「増鏡」上・中・下 井上宗雄 (講談社学術文庫)

・土佐日記
 「土佐日記 貫之集」 木村 正中 (新潮日本古典集成)

・太平記
 「太平記」(1)〜(5) 山下 宏明(新潮日本古典集成)

・李白・阿倍仲麻呂関連
 「李白100選 (NHKライブラリー―漢詩をよむ(93))」 石川 忠久 (日本放送出版協会)

・古史古伝など異説古代史関連
 「『古史古伝』異端の神々」 原田実(BNP)
 「異端から学ぶ古代史」 澤田祥太郎(彩流社)
 「日本誕生史」 安本美典(PHP)

・隠岐国全般
 「神々の源流-出雲・石見・隠岐の弥生文化-」(大阪府立弥生文化博物館)
 「古代出雲歴史博物館展示ガイド」 島根県立古代出雲歴史博物館(ワンライン)
 「万葉の歌 人と風土」(10)中国・四国 下田忠 著(保育社)
 「探訪神々のふる里」(3) 山陰・瀬戸内 (小学館)
 「隠岐島の伝説」 野津龍 著(日本写真出版)
 「隠岐の伝説」 横山弥四郎 編(島根出版文化協会)
 「出雲隠岐の伝説」 石塚 尊俊(第一法規出版)
 「隠岐は絵の島歌の島」 大西正矩 大西智恵 大西俊輝 共著(東洋出版)
 「隠岐の民話」 酒井董美(ワンライン)

・伊未自由来記・穏座抜記関連
 「柿本人麻呂とその子躬都良」 大西 俊輝(東洋出版)
 「隠岐の伝説」 横山弥四郎 編(島根出版文化協会)
 「焼火神社公式HP」 ttp://www.lares.dti.ne.jp/~takuhi/index.html

・水若酢神社
 「水若酢神社」 水若酢神社 編(学生社)

・柿本美豆良麿
 「柿本人麻呂とその子躬都良」 大西 俊輝(東洋出版)
 「辞世千人一首」 荻生待也(柏書房)

・隠岐国駅鈴・倉印
 「隠岐国駅鈴・倉印の由来」 億岐 豊伸(椙廼舎)
 「宣長ネットワーク」 ttp://www.norinagakinenkan.com/norinaga/norinaga1/menu.html

・後鳥羽院
 「隠岐の後鳥羽院抄」 田邑二枝(海士町役場)

・焼火山関連
 「焼火神社公式HP」 ttp://www.lares.dti.ne.jp/~takuhi/index.html

・古代豪族関連
 「新撰姓氏録の研究」 佐伯有清(吉川弘文館)
 「古代豪族系図集覧」 近藤敏喬 編(東京堂出版)

 ※参考サイトのURLは冒頭のhを省略していますよし、アクセスされる際はその修正を
  各位、お願い申し上げます。

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 2007,03,22〜24         隠岐国訪問
 2007,09,29〜2008,09,27     執筆(長期中断期数回を含む)
 2008,10,12〜          遼川るか公式サイト瓊音掲載

                                  遼川るか 拝

 







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